関山式土器【栃木県藤岡貝塚出土】【縄文時代前期前半】

   

商品説明 サイズ 高さ15cm 製造日数 3週間程度 商品説明 時代:縄文時代前期出土地:栃木県藤岡貝塚 縄文式土器について 先史時代の日本列島において、縄文式土器の登場は画期的な大事件であった。

縄文時代は草早期に始まり、早期、前期と続き中期、後期を経て、最後の晩期までの六つの時期に区分される。

縄文時代に製作使用された土器は、14C(放射性炭素)年代測定値によると少なくともB.C10000年からB.C300年頃にいたる長い歴史を持っているとされている。

それは自然科学的方法で算出した年代観であって、大陸側の遺物との比較による考古学的方法の年代観では、B.C2500年からが縄文時代であるとされている。

しかし、どちらの年代的根拠にも欠陥があると言われており、いまだに決定的結論は出ていないのが現状である。

ではその縄文時代に作られた土器の用途はどのようなものだったか? 一般的には煮沸の道具として使用されたが、時代によって貯蔵具として、また釣手形土器や香炉形土器等は祭祀具として使用されていたらしい。

大変興味深いことは、縄文式土器の多くは女性の手によって造られたとされていることである。

しかし私が実際にいろいろな縄文式土器を製作してみると、かなり高度な製作技術がないと作ることができないものが、たくさんある。

また煮炊き用に作った土器を、なぜこんな使いづらい形に作ったのか不思議でならない。

現代社会は無駄を省き必要なものだけを残す方向に進んでる。

しかしそれが無駄か、そうでないかはその時々の人々の考え方によって変わってくるものではないだろうか。

つまり縄文時代において、縄文式土器の無駄な(現代人の私がそう思う)部分は当時の人たちにとっては大変重要な部分だったのかもしれない。

このように考えていくと、縄文時代がどんな思想や信仰を重要だと思っていたのか、うっすらと解るような気がしないだろうか? 笹山遺跡出土火焔土器   ※詳しくは各商品ページの商品説明欄・製造日数に記載しています。

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関山式土器について関山式(せきやましき)は、縄文前期、約6,500年前の関東地方の土器型式名である。

埼玉県蓮田市関山1丁目周辺に所在する縄文時代前期の関山貝塚が標式遺跡である。

関山貝塚から出土した土器は、当初1928年の大山史前学研究所による発掘調査で、「蓮田式」として位置づけて発表された。

その後、1938年に山内清男によって、「蓮田式」が細分化され、その前半部分の一部が関山式として提唱された。

胎土に多量の繊維を含んでいるこの縄文前期特有の繊維土器であり、焼成によって炭化し、断面は漆黒色である。

器形は、浅鉢や椀などの器形もみられるが、やはり深鉢が主体であり、片口付き、台付き、注口付きなど多様である。

底部は、平底か上げ底であり、体部は、直線的に立ち上がるもの、口縁部が外反し、胴部が張り出すもの、口縁は、波状のものと平縁のものとがある。

縄文は普通の斜状縄文のほかにこの時期特有の羽状縄文が特徴的である。

羽状縄文は、右撚り(z撚り)の撚り紐を縦において横方向に転がすと左上がり右下がりで縄目が平行に並び、左撚り(s撚り)の撚り紐を同時に縦において横方向に転がすと右上がり左下がりで縄目が平行に並ぶ。

これを同時に施文したり、順番に分けて鳥の羽のように縄文を器面に施文するのであるが、関山式の場合、縄が、複節、複々節という2、3回以上よった縄を転がして施文したり、同時に施文しているのが特徴である。

また、縄目によるループ文や縄文の境界部分にコンパス文という半円の弧状の文様を組み合わせて施文する場合も見られる。

より古い時期の関山1式は、口縁部に沈線による文様を複雑に施したり、瘤状貼付文がつけられるが2式ではこれが簡略化される。

 

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